観る・見る・視る

今日は『みる』にカーソルをあわせます。
学校や塾だったら自分の子どもをしっかり見てほしい。どんなみるがあるのか?
『観る』『見る』『視る』『見る』
見る→受動的:無意識で見る(See) 観る→能動的:対象を見極めようとする(watch)
視る→観るよりも強い。視察・監視・査定とというニュアンスが強い。ジッと見る。
看る→看病・看護から考えればいいですね。世話をする感覚ですね。
診る→脈を診る。医者に診てもらう。病気や健康状態をみてもらう。などですね・・
他にも試る=こころみる以外でも見る。って言い方もあるし、監るって言い方もっ実はあります。
話をもとに戻して・・
自分は教育においてはこの『みる』を臨機応変に
そしてタイミングよく使い分けることが
教師の資質と思っています。
つまり、ベテラン(年配)だから・・ではなく、若手でもこのみるという距離感が上手な教師もいる。
ただし、かなり複合的になるので、生徒には上手、でも保護者には経験不足という人もいれば、逆の人もいる。
そう考えると両方と兼ね備えている教師は数少ないといえる。
私が一番重視するのが、または時に基本に戻るのは
人に興味があるか?
これだけです。
現代の教育は人に興味がなくても、先生という職業につける。(語弊はあるけど)
つまり、生徒の問題、保護者の問題に気がついている先生は多い。
これは前回の大学生の変化でも記載した内容だが、わかっていたけど、動かない。
わかっているけど、事を大きくはしたくないし、保護者とももめたくはない。ので
動かない先生は増えていると思う。 これが悪いともいえない。その先生のストレスも
守らないといけないし、教えるという最低限の仕事はしていると考えれば、
字が汚い、言い訳をする、他人にやさしくない、カバンの中が整理されていないなど
日々きちんと見ていけば、生徒の良いところも悪いところも毎日きちんと変化はある。
他の先生から生徒の事をに指摘されれば、『分かっています』『今日、話そうと思っていました』」
『様子を見ているんです』という答えをいって、その場をしのぐ先生も多い。
つまり、学生と同じく、先生(大人)の世界でも問題に目をつぶる世界は存在する。
自分はこの世界観を否定はしないが、残念に思う。
今の世の中は気がついている。問題の発見能力は非常に高い人材が多い。
ただその中から
次の動きをするのは1/1000といわれている。
ただ、動いたこの人はすごい! でも動かない、動けない人も圧倒的に悪いともいえない。
ここで逃がしたストレスで良い精神状況になり、明日の未来の子どもたちへの優しさに変わり人も
いる。もっといえば、動けないけど社会的に優しい、貢献している人もたくさんいる。
でも、自分たちは先生ということを忘れてはいけない。
気がついたことは、その場で動けなくても、期日を決めて何かしらの行動はおこすべきだ。
生徒が変わるか? 変わらないか?をコントロールできないが、生徒に寄り添って、伝えるべきことは伝えてほしい。
また、逆に弱さを見せることは人間味にあれている。これは生徒も大人も同じだが、上記のように、わかっています。
今、やろうと思っていました。答えを聞いて、やっぱり自分もそう思っていました。とかいう人にはなってほしくはない。
できないなら、できない!
いい方法ありますか? と聞ける人になってほしい。
人間味あふれる行動をしてほしい。
言い訳やあたかも知ったかぶりのような浅い先生・生徒になってほしくはない。
言い訳をしても良い。でも最後にやっぱり自分の勉強不足でした。とか・・生徒に嫌われるのが怖くて、どういえばいいかわかりませんでした。
とか最後にきちんと人間味を出せばよいと思う。
言い訳はしてもOK、自分を一瞬でも守ってOK、でも、でもすぐに自分を突き放し、正しい成長をしてほしい。
そんな生徒・大人を作りたくて、自分は先生しています。
伸びる子はよく見てもらって、人間味あふれる大人が
まわりにいる環境と自分は思っている。
ただ、自分は絶対に言い訳はしたくない。
あと、自分が正しいとも日々思わない。
自分を上手にみることができたら、必ず他人も上手にみれる。
自分を見ようとしない人は、他人から嫌われたくないから、いい人間を演じるはず。
人間味がない言い訳人間は自分は守れるが、未来は守れないと自分の中に信念がある。
弱さ=人間味
成長=人間味